【信長はめっちゃ合理主義だった説。残虐といわれる「比叡山焼き討ち」の真実とは?】

【信長はめっちゃ合理主義だった説。残虐といわれる「比叡山焼き討ち」の真実とは?】

◆信長は残虐ではなく合理主義の男だった?比叡山焼き討ちの真意とは

織田信長の残虐性を物語るエピソードとして真っ先に挙げられるのが『比叡山焼き討ち』事件ではないでしょうか。歴史に明るくない人でも知っているような有名な出来事ですが、お坊さんや女性・子供まで皆殺しなんて残酷!!というイメージはあっても実際なぜそのようなことを行ったのか知らない…なんて方も多いのでは?

比叡山焼き討ちとは?

1571年に現在の滋賀県大津市比叡山延暦寺で行われた戦い。

信長と比叡山の仲が険悪になった結果、老若男女問わずばっさばっさと首をはねたと有名です。「信長って残虐だよねー」っていう話題には必ず例に上がるほど。

しかし何故、修行の場であるはずの寺に子供はまだしも女性がいたのか?このあたりに信長が「合理主義者」であると言える理由の一端が隠されています。では何故この“焼き討ち”という結果に至ったのか、順をおってご紹介していきます。

◆当時の信長が置かれていた状況

比叡山焼き討ちがあったのは1571年です。この時期は「第一次信長包囲網」と呼ばれる、急速に勢力を拡大する信長を良しとしない浅井長政朝倉義景などにより信長が包囲され窮地に立たされていた時期にあたります。

そんな包囲網が形成されていく中で、比叡山は浅井・朝倉を領地内に匿うなど味方をし、信長に敵対したために、比叡山を焼いたということになっています。

つまり包囲されては流石の信長も敵わないので、各個撃破したなかの一つが比叡山であるとも言えるわけです。

◆「寺」と敵対するなんてことあるの?

さて、今までの短い文章の中でおかしいとは思われませんでしたか?

私はさも「比叡山」という名の信長に敵対し得るほどの武装集団がいるかのように書きました。

そう、おかしいのです。

お坊さんと言えば修行して、苦行に耐えて…という空海のような人物を連想されるかと思います。しかしこの当時の寺社というのは立派な武装集団です。戦えます。というよりもそのへんの武将よりもおっかない勢力です。

戦国時代の勢力というのは武士だけではなく、武士・天皇・寺社という三竦みになっていました。このうち天皇を始めとする公家は少なくとも“戦闘”という意味では問題ありません、権威はあっても戦闘ができるような勢力ではなかったのです。

問題は“仏教勢力”です、当時の寺社には武装した“僧兵”という闘うお坊さんが居ました。無抵抗なお坊さんを一方的に焼き払ったのではなく、バチバチにやり合ったという意味では「比叡山の戦い」と言ってもいいのかもしれません。

なぜ信長に敵対したのかについてですが、一番大きいのは「楽市・楽座」の影響ではないでしょうか。別段この政策自体は信長独自のものではありませんが、全国的に勢力を伸ばそうとする信長にされると困る理由が寺社にはありました。

まず楽市・楽座をざっくり説明すると関所を取っ払って商売しやすくしようぜ!やっぱ物流って大事だよね!というものです。商売繁盛するならいいじゃんと思うとこなのですが、この「関所を取っ払う」という部分が寺社に都合が悪いのです。

なぜなら今の税関のような検閲のための関所ではなく、通行料を払わせるために寺社が設置していた関所がなくなってしまうから。(酷いとこでは100m間隔で設置されていたのだとか)桃鉄みたいなことを実際にやっていたわけです、まさしくアコギな商売です。

仏教勢力の恐ろしさとは

比叡山がなぜ敵対したのかというところはお分かりいただけたかと思います。ですが、「所詮お坊さんでしょ?信長が勝つのは当たり前でしょwww」なんて思っていませんか?仏教勢力は戦国一恐ろしいと言っても過言ではない勢力です。

もちろん屈強な坊主が鎧を着込んで槍を持っていれば十分恐ろしいのですが、何より恐ろしいのが信徒たちです。

武士同士ならこれは負けるな…と思ったり、これ以上追撃する必要はないな…と判断したら撤退します。無駄に消耗する必要性はないですし、変に恨みを買う方が損です。

しかし信徒にはそれがありません、自分が死ぬまで向かってくるのです。なぜなら死ねば極楽浄土に行けるから…どっかの国のテロリストのようですね。そもそも職業軍人であった武士と違って加減を知らないというのもあったかもしれません。

有名どころで言えば教科書なんかでも出てくる『一向一揆』というのもこの手のものですね。一向一揆は信長が10年も手こずったほどの相手です。

火薬を作るために必要な硝石を生み出す「硝石丘(しょうせききゅう)」という方法も、信長はこの一向一揆から知識を得たと言われています。この話だけでも仏教勢力がどれだけの武装勢力であったのか想像に難くありません。鉄砲や火薬などは高価なものですから、それらを揃える財力と扱うノウハウがあることは戦国の世においてとても大きなアドバンテージです。

しかも武士は戦えば戦費が莫大にかかる+領民を殺されたり荒らされると将来的にもマイナスになります。これに対し寺社は黙ってても寄進という形でお金が入ってきますし、前述の関所からもお金が来ます。それに加え兵隊も信徒がメインなのでたくさんいるわけで……相手にしたくないチート勢力です。

さて、寺社の腐敗と戦った信長そろそろツッコミをいれないといけない部分があります。私は冒頭に「女・子供まで皆殺しなんて残酷!!」と書きました。

いや、なんで女おるねん!!!

はい、ここが一番おかしいところで寺社の腐敗を如実に表している部分ですね。修行の場であるはずの寺社に女性がいることがまずおかしな話なのです。そもそも当時の比叡山というのは多くの霊峰がそうであったように女人禁制です。修行もせず精進料理なんて何それ美味しいの?状態で挙句の果てに遊女まで買っていたのですからとめどない腐敗っぷりです。

更に言えばやっかいなことに、政治にまで口出しできるほどの勢力になっていました。信長以前の時代、何事も思うがままであった白河法皇に『鴨川の流れと山法師 双六の賽は意のままにならず』とまで嘆かせたほどです。「何でもできるけど、鴨川の流れと比叡山のやつらとサイコロだけは俺にもどないもできひんわ」という具合でしょうか。

それほどまでに影響力が強く、信長としても将来的な禍根を残せば不味い相手です。また、他の仏教勢力への見せしめという意味もあって徹底的にやったとも言われています。

信長が徹底的にやったからこそ政教分離が成された今の日本があるのかもしれませんね。

またよく勘違いされますが、信長は無神論者なわけではありませんでした。寺社の保護なんかも実際に行っていますし、参拝などもしています。ですからもしかしたら腐敗っぷりが許せなかった部分もあったのかもしれません。

ちなみに比叡山側は1992年に後の「小林大僧正」の手によって信長と和睦しており、現在では比叡山の犠牲者と共に信長の供養も行っています。興味のある方は小林大僧正についても是非調べていただきたいです。

信長の合理性、それは各個撃破する相手であった比叡山もただ脅威だからという理由だけでなく、

■経済発展への障害であった

■朝廷への結びつきを廃し政教分離を為す(天下統一後に口出しされると鬱陶しい)

■徹底的にやることで禍根を残さない

■宗教勢力の武装解除というような先の事も見据えて、この事件一つにも様々な理由・考えがあった

といったところにあると思います。