思い出甲子園 ? 1981年度

北陸は記録的な大豪雪で高月町も1m超える積雪を記録 体育館等多数の建物が雪の重みで潰れた 連日の積雪に雪を捨てる川もふさがり 一階は鎌倉状態 2回から出入りとゆう ありえない雪の量 

そんな年の2月19日 母が死んだ もうショックを通り越して植物人間状態だった

なので春の選抜はまったく知らない 後から知った情報だ

前年夏の大輔フィーバーから日本国民の期待は新2年生になった荒木大輔率いる早実 期待に添い見事選抜出場

早稲田は東の横綱としてもちろん優勝候補だ そして西はPL学園が優勝候補である

この年のPL学園は前年の秋季大会で大阪大会優勝 近畿大会優勝 戦績も素晴らしいがメンバーも凄い 主将が吉村(巨人 55番トリオで大フィーバー クリーンアップを打つ) エースが西川(南海) 若井(南海) そして監督も昨年秋に就任したばかりの中村順二監督だ 

実は1981年〜1987までの7年間はスーパーPL時代なのだ

7年間で春夏合わせて甲子園の出場機会は14回 そのうち10回も甲子園出場 優勝6回 準優勝2回 ベスト4 1回 その間の甲子園勝敗44勝4敗w 勝率が9割以上とゆう驚異的な数字なのだ この期間に中村監督は甲子園20連勝の戦後記録を持っている 今後破られる事はないだろう

さて 春の選抜は初日にいきなり早稲田が敗れる大波乱 優勝候補筆頭の早稲田がいきなり甲子園を去ったのである

結局PLが優勝 監督就任最初の甲子園出場機会でいきなり優勝デビューである これから中村監督の時代が1987まで続くのである

しかし夏は大阪大会でPLが敗れる大波乱 春にはあっさり一回戦で敗れた東の横綱早稲田は前評判通りの実力を発揮し見事西東京大会を制覇 3期連続の甲子園を決めたのである

この年 滋賀県大会では私立の近江高が初出場 おらとしては「えっ?何それ聞いたことないダメだこりゃ今年は」がっかりしたもんだ 昭和50年代の滋賀県比叡山が一番強かった 応援も地元の伊香高か比叡山を応援してた なので 無名校の近江にがっかりしたのである しかし近江は1回戦鶴商学園に勝ってくれた ナイスである 弱小滋賀県では一回勝ってくれれば大満足だったのだ

この夏の大会で目にとまったのは愛工大名電の工藤投手である 長崎西戦でノーヒットノーラン!! 凄いカーブである いわゆるドロップ 縦に大きく割れるカーブに唖然とした 愛工大名電はベスト4まで進出した 工藤投手はプロでも10代から大活躍 新人類と呼ばれ流行語大賞も取得した

さて 優勝候補の注目の早稲田は1,2回戦を突破 しかし3回戦で報徳に敗れる波乱 がっかりである 特に女性ファンは黄色い悲鳴が鳴り響いた 

決勝は 報徳対京都商 金村と井口の投げ合い 2-0で報徳学園が優勝したのであった